【1884年オハイオ州のスト破りを護衛】
ピンカートン探偵社は、1855年にシカゴで設立された探偵社です。
世界初の探偵社というのが定説です。
異説もありますが、世界的知名度を誇ったことがある歴史上唯一の探偵社なのは確かです。
数々の小説や映画に登場して、19世紀後半から20世紀半ば頃までとても有名でした。
この探偵社のことを紹介しましょう。
内容は主にアメリカ労働史・社会思想史の研究家で大学教授の下記の著書を参考にしています。
【創業者アラン・ピンカートン】
創業者のアラン・ピンカートンはスコットランドの貧困層に生まれたイギリス人です。
幼い頃に父を亡くし、兄弟を養うために樽職人をしていました。
しかし、チャーチスト運動という民主政治活動に参加したために警察に追われ、アメリカに渡りました。
移住した当初は樽職人をやっていました。
偶然に贋金作りの野営地を発見して警察に突き出したことで、副業探偵の道が開かれました。
通貨偽造犯摘発から誘拐犯の逮捕や郵便局員の横領摘発などに依頼が拡大していきます。
その後も依頼が増えて、鉄道警備を担う北西警察事務所を設立。
ピンカートン探偵社の前身です。
そして1855年、ついにピンカートン探偵社を設立します。
ピンカートン探偵社の歴史を紐解くと目を奪われるのはその業務の特異性です。
「これは探偵業の範疇なのか?」と思うような仕事ばかりです。
警察、ヤクザ、傭兵かとみまがうような仕事が多いのです。
初期の成長に貢献した業務は鉄道警察的な仕事です。
鉄道員の横領や規律違反を摘発し、後には列車強盗の逮捕までやるようになります。
後で説明するように、州横断的な警察がまだなかったためにビジネスチャンスがあったのです。
一方、悪名高い労働スパイの仕事も増えていきました。
資本家の手先となって、ごろつきめいた人間を労働組合に潜り込ませて運動を潰す仕事です。
労働運動に参加して祖国を追われたのに、労働者の敵になったのです。
1861年に南北戦争が始まると、リンカーン大統領のもとで南軍のスパイを摘発する仕事をします。
一時は北軍のシークレット・サービス(要人警護)も請け負っていました。
1865年にリンカーン大統領が暗殺された時、アランは「自分が現場にいればこんなことは起きなかった」と嘆いたものです。
【第16代米国大統領エイブラハム・リンカーン】
1884年にアランが死ぬと長男ウィリアムと次男ロバートが経営を担います。
労働組合潰しの仕事はその時も大きな比率を占めていましたが、徐々にマーケットが縮小していきます。
合衆国憲法で保証された労働者の権利を侵害する業務であり、色々事件を起こして世間の評判も悪くなっていったからです。
そこで業務の主軸を常習犯逮捕に移しました。
競馬協会と契約して競馬場内のスリを摘発しました。
宝石商連盟の公認警備会社になって、宝石のセールスマンを強奪から守りました。
銀行連盟と契約して銀行強盗や窃盗犯を逮捕しました。
この中でピンカートン探偵社は全国レベルで犯罪者のデータベースを作っていきます。
州ごとの警察しかなかった時代には画期的な事で、その発想は後のFBIに受け継がれます。
兄は裏社会と通じ、弟は資本・銀行家・宝石商とコネクションを築いて会社は発展しました。
ピンカートン探偵社はなぜ探偵の枠組みを超えたような業務が多かったのか?
なぜ警察がやるような仕事までやることを許されていたのか?
そこには19世紀後半のアメリカは全国的な中央集権的な警察がないという特異な事情がありました。
まだFBI(連邦警察)はなく、警察の管轄は自分の州の中だけだったのです。
ヨーロッパ諸国には最初から中央集権的な警察がありました。
英連邦諸国でもカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどは全国的な警察が順調に発展しました。
この時期に明治維新を迎えた日本もそうでした。
アメリカだけ事情が違ったのです。
これは州の独立性を重んじて国家の介入と増税を嫌う気風が強かったせいです。
この環境下で資本家は私設警察を雇い、労働運動を弾圧するなど、合衆国法を無視した好き勝手をするようになりました。
ここにピンカートン探偵社は労働スパイという大きなマーケットを見出しました。
参考サイト: 19世紀後半~20世紀前半の米国の産業と労働事情
一方、時代は州のボーダーレス化に向かって進んでいました。
1849年にはゴールドラッシュが始まり、西部を目指す人の流れが激増しました。
参考サイト: カリフォルニア・ゴールドラッシュ(Wikipedia)
同時にヨーロッパでは飢饉が起き、アメリカに移民の波が押し寄せました。
1869年には最初の大陸横断鉄道が開通しました。
州境を越えた人と物の流れが激増しているのに、警察の管轄は州内だけです。
隣の州に逃げられたら、横領犯も列車強盗も逮捕できないのです。
そこで州横断的な警察が必要になってきたが、州の独立性は譲れないし、増税も嫌だという。
ピンカートン探偵社はここにもマーケットを見出しました。
同社はFBI誕生前の時代にFBI的な役割を担った面がありました。
ただし、手段を選ばない乱暴なやり方で、世間の評判はかなり悪かったようです。
それに労働組合潰しもしていましたから、公正な全国警察の代行だったなどとは言えません。
本来は連邦警察の仕事までやっていたわけですから、ピンカートン探偵社の活動は必然的に強い暴力的色彩を帯びていました。
銃撃戦や殺し合いになることもありました。
そのために人々の記憶に残るようないくつもの事件に関与し、恐れられ、忌み嫌われる一方で、ロマンチックな憧れの対象にもなりました。
同社が関与したモリー・マガイアズ事件は、推理小説作家コナン・ドイルの「恐怖の谷」のモデルになり、ショーン・コネリー主演の「男の闘い」で映画化されました。
ロバート・レッドフォード主演の映画「明日に向かって撃て!」は、同社のワイルド・バンチ強盗団の追跡がモデルです。
【ワイルドバンチ強盗団の面々】
小説「恐怖の谷」、映画「男の闘い」「明日に向かって撃て!」などを紹介しましたが、ほかにも多くの創作物に登場します。
例えば、ダシール・ハメットの小説には、ピンカートン探偵社の工作員が登場します。
「血の収穫」「マルタの鷹」で有名なハードボイルド小説の草分けです。
彼自身が一時ピンカートン探偵社の探偵として働いていました。
このように小説や映画を通じてピンカートン探偵社の名は全米はもちろん世界中に知られるようになっていきました。
さらに南北戦争後にはアラン・ピンカートン自身がゴーストライターを使って、自分の仕事を美化する小説を書きます。
もちろん大筋を指示してゴーストライターに書かせたわけですが、目的は2つありました。
第一に、激化する競争の中で他社と差別化すること。
第二に、探偵を英雄化して同社の乱暴なやり方に対する世間の批判をかわすことです。
10年間で16冊も書きました。
その内容を真に受けて探偵に憧れる人もいたでしょう。
同社のマークや社是も魅力を増すのに貢献しました。
目をモチーフにした会社のマークは神秘的で、eyeは探偵を意味するスラングになりました。
private eye は私立探偵の意味です。
【ピンカートン探偵社の有名な社章】
社章に刻まれている会社のモットー「我々は眠らない(We Never Sleep)」も強烈な印象を放っています。
1人の探偵が眠っている間も別の探偵が追い続けて追跡が途切れないという意味です。
ピンカートンの追跡からは誰も逃れられない、ということを言っています。
このようにして秘密裏に手段を選ばずに活躍する超人的英雄集団のイメージが作られていきました。
こんなに有名になった探偵社は他にはありません。
創業者の息子2人の時代が終わると、経営はアラン・ピンカートン・ジュニアが引き継ぎます。
その頃、司法省の中で「捜査局」という組織がが開設され、1924年にはFBIに改組されます。
初代FBI長官エドガー・フーバーはその後48年にわたって君臨し、独裁的権力を振るいました。
FBIが出来た以上、従来の仕事はもうありません。
1926年には4代目の社長に交代しますが、ピンカートン一族出身者はこの人が最後です。
ほどなく捜査業務から撤退し、警備保障専門の会社になり、1964年にニューヨーク万博の警備という大仕事を受注します。
現在は、年商10億ドル、世界20か国に220の支店を持つ多国籍巨大警備保障企業になっています。
もとの社名は Pinkerton National Detective Agency(ピンカートン全国探偵事務所)でした。
今は社名から「探偵(detective)」が取れています。
といってもセコムのような業務内容ではなく、もっときな臭いこともやっているようです。
現在のピンカートン社のホームページ: https://pinkerton.com/
1860年代のカンザス州を舞台に同社の創設期を描くドラマです。同社に関する創作の最新作品。
ディーン・フジオカが出演しています。
https://www.wowow.co.jp/detail/106592/011/01
大学の研究者が一般向けにこのテーマをまとめた本です。
著者は労働史の専門家で文章がごちゃごちゃしていて読みにくい面がありますが、このテーマに関する本が少ない中では貴重な資料です。
推理作家コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズの一冊。
ピンカートン探偵社が関与したモリー・マガイアズ事件がベースになっている作品です。
ピンカートン探偵社のワイルド・バンチ強盗団の追跡がモデルになっている映画。
実在したアウトロー、ブッチとサンダンスが銀行強盗を繰り返すなかで夢を追い求めて自由奔放に生き、追い詰められていくストーリーです。
ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演。
ピンカートン探偵社設立から半世紀ほどの後に日本でも私立探偵の歴史が始まります。
日本で最初の探偵社は、明治28年(1895年)に東京できた岩井三郎探偵事務所です。
日本の探偵業にはもうひとつ興信所というルーツがあります。
これは明治維新後にできた「会社」というものの信用調査をする機関で、今の帝国データバンクのようなものです。
それが採用の身上調査や結婚前調査もするようになり、探偵社との境目があいまいになっていきました。
これがその後にどう発展して、現在の業界はどんな感じになっているのか?
下記の記事ではそれをコンパクトに解説しています。